御先祖様を知りたい!!

北海道と長崎県のハーフの昔話好きが重症化した御先祖様辿りのブログ

父が帰ってきました。(中島家と椛島家の戸籍)

つい先日・8月4日日曜日。

3年間の単身赴任を終え、父が帰ってきました。おかえりなさーい!

 

お土産に(?)前回の記事

 

rinne-kururi.hateblo.jp

 の戸籍を持って帰ってきてくれました!ありがたや~!

またスキャナで取り込まねば…

 

と、中島家の戸籍1通以外になんと3通の戸籍が!!

なんと父が2日金曜日に佐賀県武雄市市役所に行って椛島家(父方の祖母の旧姓)の戸籍を取りに行ってくれてました!!!

マジかよパパン…ありがたや…(実は知ってたけども)

 

たまたま父にLINEしたところに「今、武雄の市役所にいる」と一報が入り、リアルに「ファッ!?」と声が出ました。

テスト勉強中だったのでもう勉強どころの話ではなかった…笑

「じいちゃん(私からして曾祖父)の本籍、わかるか?」とも来まして…これがテスト中だったら返せてなかった…ではなく、テスト期間中でファイリングしている改製原戸籍・除籍謄本ファイルを家に置いてきてしまっていた私。

ンァァァァァァと思った矢先、「あ、そういえばスキャナで読み込んでるデータ、スマホにいれてた…」と思いだし、伝えたところ無事、取得できたそうです。よかったー!

 

そして手に入った戸籍と初対面…!!どきどき…

……

………

…………ン゛????!!!!!

あ・いや、一応、えー…高祖父の父親まで判明はしたんですけど…高祖母の家が…えぇ…うっそだぁ…まさかと思ってたけど…いや、ね…うーん、わからんけども。本当にその血縁かわからんけども…ほんととにかく驚きなことが起きました。(個人的にですが)

その話はおいおい、記事に書きたいと思います。

 

 

 

中島(なかしま)家の戸籍近況

はい、皆様長らくお待たせ致しました(?)
中島家の戸籍なのですが、父が単身赴任を終え今週帰ってくるので無理を言って平日に取れるだけ役所で戸籍取ってきて!!!とお願いし、今日行ってもらったのです…が

悲しいお知らせ……。
なにがって…?それはですね中島家の戸籍は…
高祖父・庄吉さん戸主までしか残ってなかったそうなのです…。悲しい……!!

なんてこった…悲しい、ほんと悲しい。
過去帳があって長々と続いてたのが奇跡だったのか、母方の家系の戸籍が残りすぎてたせいなのか、どちらにせよ、中島家の戸籍請求は終了致しました…。

庄吉さんには2人の弟がいたそうで、でも次男が記載されておらず(きっと重右エ門さんが戸主のときに載っていたのであろう)、三男・茂六さんが記載されていました。

前の記事で過去帳から書き出した家系図にもいますね。

あ、そうだ。
庄吉さんの父・重右エ門さんですが戸籍だと重左衛門って記載されてるんですよね…どっちが正しいんだ…謎が増えました…。

まだ戸籍が手元にある訳じゃないので細かく読めてないのですが、庄吉さんの弟・茂六さんは亜米利加丸の船上で亡くなったと戸籍に記載がありました。

またその辺はおいおい調べていきたいなと思っておりますが。

まーさかこんなあっけらかんとして中島家が終わってしまうとは………悲しい。

中島(なかしま)家の過去帳

先日、7月20日㈯に父が実家に帰ったそうでずーーーーーっとお願いしていた中島家の過去帳の写真を撮ってきてもらいました。やった!

なんと13人載ってました…!!ヒエ-ッ
しかも夭折された方が1人しかおらず、またほとんど直系しか書かれておりません。

戸籍だと4代前である高祖父・庄吉さんしかわからなかったのですが、
過去帳からだと7代前まで!!すげー!
ってことで過去帳の持ち主?が曾祖父・庄蔵さんらしいので庄蔵さん基準に家系図に当てはめて書いてみました。

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庄右ヱ門さんが没年不明で9月10日没。享年81歳だそうです。
繁右ヱ門さんで明治29年2月9日没。享年82歳だそうなのでもしかしたら明治なる前に亡くなったご先祖さまでは…?!と推測しております。ひょえ〜…!!

え、まって?繁右ヱ門さんの逆算したら文化生まれの方なの???
手元にある戸籍(とりあえず全家)でも天保4年…1833年生まれが1番古い方なのですよ…!!
そう考えたらほんとワックワクものですね!(?)

それはそうとして。
右端に書いてあるユクさん、岩雄さん、松本喜蔵さん。
この3名がどうも家系図に当てはまらないのですね。
この3名に関しては写真を載せてしまいます。
あと月が読めません。正月なんですかね?5月?っていうのも中々に謎…。

中島ユクさん
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大曾姥??

中島岩雄さん
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大叔父??

そして松本喜蔵さん。
何故松本家の人が中島家の過去帳に?
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読んだ感じだと私の高祖父・庄吉さんの叔父と捉えていいのでしょうか?
それにしてもなぜ?

という感じでございます。
誰かこうじゃないか〜とわかる方がいたらコメントご自由に…!!むしろお願いします。

あ、あと家紋も撮ってきてもらいました。
天皇即位50年…昭和天皇ですね。
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なぜこんなのがあるのか疑問ではありますが。

というわけで中島家は戸籍を殆ど取ってないのですが過去帳でここまで分かりました〜!というご報告でございました。

お上人の話。(森家・日蓮宗)

昨日のバイトの話です。

追って森家(母の旧姓)の過去帳の話をしますが…

曾祖父・褜吉(いなきち)さんは伊達から恵庭へと来ました。
菩提寺日蓮宗で毎日通いに行っていたというほど信仰深かったと言います。

その父である久四郎さんの法号に違和感を少し感じていたのです。
私の得た知識の中では「日蓮宗の家の人は法号に日の字が入る」ということから
高祖父・久四郎さんと高祖母・いせさんの両2名の法号に日の字が入っているものだと思っていたのですが…
入ってなかったんですね。なんてこった。

褜吉さんからいきなり宗派を変えたのか…?
褜吉さんは伊達で漁師をやっていたという話が伝わっており、漁師の方は日蓮宗が多い…とゼミの先生が言ってました。

そこでたまたま私のバイト先が
祖父母の家・バイト先・お寺
と1本の道路で真っ直ぐ行けるほど繋がっており、よくお上人がオフの時に買い物に来ていたんですね。
それで運良く昨日、来店されました。

他にお客さんがいなかったのでお上人がレジに来た時に思わず聞いちゃいました。
(代々お世話になっているのもあって私自身、お上人、お上人のお父様もよく知っているのです。)

私「お上人…法号のことでちょっと聞きたいことあるんですけどいいですか?(あー…お上人のオフなのに申し訳ない…ていうかかっこいいなぁ…)」

お上人「うん?どうしました?」

私「今、大学3年生でして。卒業論文、ご先祖さま供養も兼ねてご先祖さま辿りをしてるんですよ…。戸籍と過去帳を照らし合わせながら。それでうちの過去帳にえーと、私の曾祖父の代からそちらでお世話になってるんですけどそのお父さんの法号に日の字が入ってなくて…伊達市に居たんですけども。これって日蓮宗じゃなかったってことなんですかね…?(お上人イケボすぎてしんどい。)」

お上人「…!いい勉強しているんですね。法号…確かに日蓮宗では日の字は入りますが入らない場合もあります。院の字も入らないことあります。男性なら法律の法の字、女性ならうちの寺と同じ妙の字を入れるっていうことも。
日蓮宗でも派がわかれているので一概に決まっているとも言いきれないんですよ。
だから、その伊達市日蓮宗の派が違うものだった、という考えもありますよ。」

私「ほー…!なるほど…!!法号も色々あるんですね、勉強になります!!ありがとうございます!!オフなのにいきなり聞いてしまって…!!」

お上人「いいえ、熱心なのはいい事ですよ。御先祖様もいい供養になるかと。分からないことがまたあれば聞いてください。(にっこり)」

私「ありがとうございます…!!(ご、ご来光が見える!!眩しい!!拝みたい!!)」

ということがありました。お上人まじ仏様。ありがたや…。
まだ久四郎さんが日蓮宗ではなかったという話は回避出来そうです。
やはり伊達市にご存命の子孫の方にお話を聞くしかないな、と思いました。

森家の改製原戸籍

皆様、お久しぶりでございます。輪廻です。
ブログ更新停滞して申し訳ありません。
言い訳に聞こえるかもですが一言……
8月上旬までレポートとテストの山なので更新がっつり停滞します。予告が遅れてすみません。
把握のほど、よろしくお願いします。

………

さて、私は初めて戸籍を取得…近場から行こう!ということで 本籍地というものをよく分かっていない私が母の旧姓である「森家」の改製原戸籍を請求することにしました。
今年、2019年3月12日の出来事です。

本籍地は住所に書いてあることはここ最近気づきました…しかも新しい免許証は本籍地が記載されないということで知りました(ぇ

話が脱線しました。すみません。
で、まず市役所で戸籍を請求する紙に祖父の名前と今現在の住所を書きました。
改製原戸籍?除籍謄本??なんだそりゃ?って感じでした。何しろ最初は知識が何も無いからですね…とりあえず、請求理由のところに「個人で家系図作成するため」と記入し戸籍の窓口へ。
戸籍課の方が「そうなると改製原戸籍ですかね〜」ということで発行してくださいました!アッサリ。

私「……あの、もしそれより前の改製原戸籍てありますか?あったらそっちも出してもらいたいです…褜吉(いなきち)っていう人なんですが…」

戸籍課「いなきちさん、ですね…わ、見たことない漢字…!!」

戸籍課の方も見たことない漢字だったそうです。
でも探してもらうと無事あったので発行してもらいました。

戸籍課「あー…褜吉さん以降のを請求とすると伊達市に請求してもらうことになりますね…元々、伊達市にお住いだったんでしょうか?」

あ、そうだ、確かに伊達から来たって話は薄々聞いていて知っていたけどそれ以降になると…ナルホド。ぐぬぬ伊達市は後々にしよう。

まずは祖父・森勝人(かつひと)筆頭の改製原戸籍でございます。2枚綴りでした。(母と母の姉の名前は隠させていただいてます。)

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おぉ、これが改製原戸籍…!!
祖父が亡くなったことも書かれており、どこか複雑な気持ちで読んでおりました。(私が小学五年生のときに亡くなっているのです。)
嫁ぎに行った叔母さんが離婚してまた戻ってきてる事もちゃんと書かれてますね…しかもどんな離婚か、って種類まで…戸籍怖っ!!

続いては祖父・勝人の父親で私の曾祖父である褜吉(いなきち)さんの筆頭…この頃は戸主ですね。4枚綴りでした。

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一気に手書き感増して読みづらい!!!!!
祖父の兄弟の名前全員初めて知ったよ!!!
地域あるあるで地名呼びとかあるじゃないですか…

昌之さんが柏木のおじちゃん
キミさんが苫小牧のおばちゃん
久之さんは戦死したおじさん(遺影が若いのでおじさんと言いづらいのですが)
キヱさんは松浦のおばちゃん(松浦さんに嫁いだので)
ミサさんは江隈のおばちゃん(江隈さんに嫁いだので)
そして祖父・勝人はじいちゃん。
それ以降に書いている方は昌之さんの奥さんとお子さんですね。

…あの、オミツさんの欄、すごく読めない、読めなさすぎる…!!なんじゃこりゃ…!!
時代的に千歳…群だよな、千歳村大字千歳村字…ってどんだけ千歳村!!え、字のあと読めなッなにこれ?!ネしも…?うぅん?
…この地名解読、かなり時間かかります。読めない。まじで読めない。
諦めました←
旧姓も読めなさすぎる。え、これ粟?栗?雲?わけがわかりません。
こりゃ戸籍課の人が読むのも苦労するわけだ←

というか、曾祖母のたきさん。
宮城生まれ…??!!あれ?!家族みんな秋田生まれって聞いてたよ??!嘘だったの?!謎がまた増えた…。
そして褜吉さんの分家が…叔父分家?えぇと…久治さんでいいのかな、その人の家から分家…あ、お父さんの名前は久四郎さんね…って前の戸主、久四郎さんじゃないの?!何がどうなっているんだ?!
しかも6男って?!森家そんなに男兄弟だったの?!
色々驚きが隠せません。
そして褜吉さんとたきさんの欄で婚姻の月日!!違う!!どっち正しいの??!!?なぜ訂正がない…??!!

初めて手に入れた改製原戸籍はものすごくクセが強いという印象で終わりました。

信濃神社に行きました。

こんばんは!ただいま2019/7/15、午後8時です。

土日はバイトのため、更新できませんでした…。
楽しみにしてくださってる方、すみません汗

本日は海の日でございました。
そこで相方が前々から「信濃神社に行こう」と声をかけてくれていて予定があったので行くことに。

信濃神社は明治30年に長野県の諏訪大社出身者、河西由造等によって厚別の地に奉遷された神社で100年以上の歴史を持つ神社です。

この神社は鷲田家、大浦家、山口家が近くに住んでいたこともありご先祖さまにとっては大事な神社なのです。

現在の社殿は新しいですが、初代社殿の副棟梁が鷲田弥左エ門さん…私からして高祖父がしていたと『信濃神社百年』に書かれておりました。
その初代社殿は今現在、同区にある開拓の村の中に旧・信濃神社として展示(?)されています。

旧・信濃神社は今年のGWに行きました。
後ほど記事にして書こうと思っております。

で、今現在の信濃神社に行ってきたわけですが。

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鳥居がどーんと構えている(あたりまえ)
かなり立派です…!迫力満載!!(地元の神社と比較している)

鳥居の裏を見てみると…

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ありました!鷲田弥太郎さんのお名前が!!
鷲田弥左エ門さんの息子であり、私の曾祖母の兄でもあります。

境内のことを書こうとするとかなりの量になるのでとりあえず参拝してきて御朱印を頂いてきたことをご報告いたします。笑

信濃神社境内散策編としても後に投稿予定……です。(タブン)

で、頂いた御朱印です!!

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ひゃ〜!かっこよい!!!!
御朱印代はお気持ちで、ということで多めにお渡ししました。
ご先祖さまが色々携わってた神社なのにずっと来れなかったというのも込めて…。

信濃神社に行く前に、すぐ近くに母方の祖母の兄・大浦尚之さんが住んでいた家があった跡地にも足を運んで来ました。
おうちは取り壊されていましたが表札が残っていました。(写真を撮ってきましたがあえて載せないことにします。)
なんだか、寂しい気持ちになりました…。が、改めてその土地に立っているとご先祖さまが開拓していんだなぁと肌に伝わってくるような気がしました。


いやー…御朱印かっこいい……
ちなみに書いてもらった信濃神社の御朱印の横に書いてあるのは清田区・厚別(あしりべつ)神社の御朱印(今年の1月2日)なのですごいご利益ありそうな見開きページになりました。大満足。しかも令和最初の御朱印ですからね!

ということで本日の現地調査(?)でした!!

2019.7.12の戸籍請求

本日、また新たに3つの除籍謄本を入手致しましたことをご報告。

まず、請求したのは誰かと言うと
・森 褜吉(いなきち)さん(曽祖父)
・山口利左エ門さん(高祖父)
・鷲田弥左エ門さん(高祖父)
です。

森さんは母の旧姓で、
山口さんは祖母・森利子の父である大浦又市さんの実家で、
鷲田さんは祖母・森利子の母である大浦ツゲヲさんの実家でございます。

私の場合、既にこの3名が戸主(筆頭)とする改製原戸籍・除籍謄本は入手済みなのです…が

森褜吉(いなきち)さんの場合ですが、既に持っている戸籍を見ると法律が変わったので新しく戸籍を作り直したため、この戸籍を消除したと記載されていました。
なので褜吉(いなきち)さんの死亡年月日が不明なんですね。(妻のたきさんも同じく)
私の場合、過去帳に書いてあるので知っているのですが「戸籍としての死亡年月日」を知らなかったので請求することにしました。(死亡時刻や亡くなった場所の記載がありますので)
本籍は変わらないのですが、子供たち(祖父の兄弟)が結婚すると共に除籍され、褜吉(いなきち)さんと妻であるたきさんが残されました。…が、
そこから新しい戸籍〜…となりましたので戸主 森褜吉(いなきち)の新しい戸籍を入手しました!
…うん、過去帳に書いてある死亡年月日は間違いなし。ただ、亡くなった時刻は知らなかったので新たな発見でした。

山口利左エ門さんと鷲田弥左エ門さんはですね、
こちらは時代的に隠居や家督相続といったことがまだあった頃なので、私の手元の戸籍の方には隠居したので家督を譲りました、といった内容が記載されておりました。
なので隠居後の戸籍を請求!ってことになります。(褜吉さんとまた違うパターン)
厚別区役所でのんびり待ちました。
(戸籍課の人にブラックリスト入りされてそうで怖い)
まぁ戸籍発見してもらって発行してもらったんですけどまぁなんと…
鷲田弥左エ門さんは息子で長男…白石村長を務めた彌太郎さん戸主の戸籍に入っておりました!
ので、弥太郎さんのお子さんやお孫さんがわかるわかる……ってことで祖母の甥っ子と言っていた小彌太先生の名前も見つけました。こりゃすげぇや。
あ、ちゃんと死亡年月日もわかりましたよ。

そして山口利左エ門さんなのですが…
窓口の人が言うには「最初、長男の方に入られてたんですけど次男の方に移ってました」とのこと。

祖母・利子が言ってたんですよね…「山口さんは長男が家督相続してなくて次男とかあたりが本家のはずなんだよね」……何があったんでしょう。
私も、祖母すら知らない謎…ここで一致しましたね…。
でもちゃんと、利左エ門さんの死亡年月日をかくにんできましたのでOKでした。

いんやまぁ…まだ中身ちゃんと見てるわけじゃないので新たなことが発見できると思うとワクワクしますね。

とりあえず、近況報告として本日の動きでした〜!