中島(なかしま)家の話。
閑話と致しまして唐突に中島家のお話をしようかなと思います。きっかけばかりじゃ何だこのブログ…って思われかねないので笑
さて、実は私・輪廻は中島家の家紋を見たことがありません。
口伝でしか教えられていないのです。
なぜなら私の父の実家が長崎県大村市。
私は生まれてから殆ど北海道恵庭市に住んでいて、お墓が大村市にあるからなのですね。
1.2年ほど熊本に住んでいたことがありましたが年少さんの話なのでまぁなんと……記憶にない笑
と言っても、父もあまり中島家に興味無いのか知らないことが沢山ありすぎる!!笑
色々訳ありらしく、お話はできませんが…。
父方の祖父もまだまだ元気でして。
すぐ近くにお墓があってこの間電話した時に「お墓?この間、みんな(多分ご近所の方)と掃除しに行ったけんね〜」と言ってたのでちゃんとお墓を見てるんだなぁ、と思いましたが。
ちなみに家紋は『中陰地紙に桔梗』という家紋だそうで。
口伝では「ちゅういんぢしにききょう」と聞いてたんですけど「ちゅういんぢがみにききょう」らしいですね。「地紙」の読み方の違い…笑
ちなみにこのような家紋です。
最後に長崎のお墓参りに行ったのは…かれこれ13年前ぐらいですかね。
わたしが10歳ぐらいの時の話で父方の祖母の母(私からしたら曾祖母)が危篤状態となり慌てて長崎に行ったんですね〜。唯一の曾祖母で熊本にいた頃はよく親に連れられて遊びに行ったもんです。
…玄関に置いてある増加が怖くてギャン泣きしながら遊びに行ったのはいい思い出…(遠い目)
話がそれました笑
で、最後にお墓参りしたときに…家紋の印象がとてもなかったんですよね…(遠い目)
何せ、家紋に興味持ち始めたのは戦国武将にハマった中学二年生!!ですね。
この戦国武将はこの家紋だー!!とよく覚えたものです。(その年からの墓参り目的は母の旧姓・森家、母方の祖母の旧姓・大浦家の家紋物色ついでによそ様のおうちの家紋をチラチラ見てました←)
母方の方ばかりに密接だったので最近まで中島家の宗派も知りませんでしたからね←重症
そこで、「うち(中島家)の家紋ってなんぞ…?」と疑問に思ったわけですね。
祖父に写真を送ってもらえばいいのですが祖父はあいにく、ネット環境がなくケータイも持ってないので…しかも黒電話。
残念ながら私が直接見に行くしかないのです…が。
約3年間、大村市に単身赴任している父が来週、実家に行くとのことで「家紋撮ってきて!!あと過去帳!!」としつこくお願いしているところであります。
(使えるものは使っておくという暴挙)
さて、ここで箇条書きで中島家の口伝を書き起こそうと思います。
祖父・中島義浩のお話だと…
・じいちゃんには妹がいるけど、アメリカの養子に出された。
・家の裏の山は実はうちの土地
・昔はもっと家がでかかった。けど、小さくした。
・でかかったころはよく、菩提寺の和尚人が来てた。
・祖父・庄吉さんが庄屋やってた(私からすると高祖父)
・庄吉さんは防護巡洋艦 吉野に乗っていた。(戦死した訳では無い)
・父・庄蔵さんは澤山商会で船作る関係に携わっていた(私からすると曽祖父)
・佐世保から仕事で朝鮮行くころに母・カズ子さんと出会って結婚、そこから朝鮮へ行った。
・そこで俺(義浩さん)が産まれた←これは衝撃だった
・でも実はカズ子さんは初婚じゃなかったとか。
・(義浩さんの)従兄弟がたくさんいる。カズ子さんが兄妹多かったとか。
・朝鮮から帰ってきて間もなくして庄蔵さんが陸軍で戦争に行った
・山の方に昔、墓があったがそれを今の菩提寺に移した。(骨出てきたって言ってた)
・うちの家はもうずっとこの土地に住んでいる
父のお話だと…
・庄蔵さんは手先が器用だった。
・家に実は防空壕があって昔、入ったら怒られた。(今はもうほとんど埋まっているとのこと)
・庄蔵さんは陸軍という話を(庄蔵さん本人から)聞いていない
・墓が昔上にあったことを知っているが見たことない。
・じいちゃんの妹が養子に出されたが、養子縁組に出された先が庄蔵さんのいとこだった気がする
…とまぁ色々出てくる…。
戸籍には載ってない話がたくさんありますね〜。いつか冊子にしたい。
書けばまだまだ出てくるはずなんですが今回はとりあえずここまで〜。