御先祖様を知りたい!!

北海道と長崎県のハーフの昔話好きが重症化した御先祖様辿りのブログ

信濃神社に行きました。

こんばんは!ただいま2019/7/15、午後8時です。

土日はバイトのため、更新できませんでした…。
楽しみにしてくださってる方、すみません汗

本日は海の日でございました。
そこで相方が前々から「信濃神社に行こう」と声をかけてくれていて予定があったので行くことに。

信濃神社は明治30年に長野県の諏訪大社出身者、河西由造等によって厚別の地に奉遷された神社で100年以上の歴史を持つ神社です。

この神社は鷲田家、大浦家、山口家が近くに住んでいたこともありご先祖さまにとっては大事な神社なのです。

現在の社殿は新しいですが、初代社殿の副棟梁が鷲田弥左エ門さん…私からして高祖父がしていたと『信濃神社百年』に書かれておりました。
その初代社殿は今現在、同区にある開拓の村の中に旧・信濃神社として展示(?)されています。

旧・信濃神社は今年のGWに行きました。
後ほど記事にして書こうと思っております。

で、今現在の信濃神社に行ってきたわけですが。

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鳥居がどーんと構えている(あたりまえ)
かなり立派です…!迫力満載!!(地元の神社と比較している)

鳥居の裏を見てみると…

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ありました!鷲田弥太郎さんのお名前が!!
鷲田弥左エ門さんの息子であり、私の曾祖母の兄でもあります。

境内のことを書こうとするとかなりの量になるのでとりあえず参拝してきて御朱印を頂いてきたことをご報告いたします。笑

信濃神社境内散策編としても後に投稿予定……です。(タブン)

で、頂いた御朱印です!!

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ひゃ〜!かっこよい!!!!
御朱印代はお気持ちで、ということで多めにお渡ししました。
ご先祖さまが色々携わってた神社なのにずっと来れなかったというのも込めて…。

信濃神社に行く前に、すぐ近くに母方の祖母の兄・大浦尚之さんが住んでいた家があった跡地にも足を運んで来ました。
おうちは取り壊されていましたが表札が残っていました。(写真を撮ってきましたがあえて載せないことにします。)
なんだか、寂しい気持ちになりました…。が、改めてその土地に立っているとご先祖さまが開拓していんだなぁと肌に伝わってくるような気がしました。


いやー…御朱印かっこいい……
ちなみに書いてもらった信濃神社の御朱印の横に書いてあるのは清田区・厚別(あしりべつ)神社の御朱印(今年の1月2日)なのですごいご利益ありそうな見開きページになりました。大満足。しかも令和最初の御朱印ですからね!

ということで本日の現地調査(?)でした!!

2019.7.12の戸籍請求

本日、また新たに3つの除籍謄本を入手致しましたことをご報告。

まず、請求したのは誰かと言うと
・森 褜吉(いなきち)さん(曽祖父)
・山口利左エ門さん(高祖父)
・鷲田弥左エ門さん(高祖父)
です。

森さんは母の旧姓で、
山口さんは祖母・森利子の父である大浦又市さんの実家で、
鷲田さんは祖母・森利子の母である大浦ツゲヲさんの実家でございます。

私の場合、既にこの3名が戸主(筆頭)とする改製原戸籍・除籍謄本は入手済みなのです…が

森褜吉(いなきち)さんの場合ですが、既に持っている戸籍を見ると法律が変わったので新しく戸籍を作り直したため、この戸籍を消除したと記載されていました。
なので褜吉(いなきち)さんの死亡年月日が不明なんですね。(妻のたきさんも同じく)
私の場合、過去帳に書いてあるので知っているのですが「戸籍としての死亡年月日」を知らなかったので請求することにしました。(死亡時刻や亡くなった場所の記載がありますので)
本籍は変わらないのですが、子供たち(祖父の兄弟)が結婚すると共に除籍され、褜吉(いなきち)さんと妻であるたきさんが残されました。…が、
そこから新しい戸籍〜…となりましたので戸主 森褜吉(いなきち)の新しい戸籍を入手しました!
…うん、過去帳に書いてある死亡年月日は間違いなし。ただ、亡くなった時刻は知らなかったので新たな発見でした。

山口利左エ門さんと鷲田弥左エ門さんはですね、
こちらは時代的に隠居や家督相続といったことがまだあった頃なので、私の手元の戸籍の方には隠居したので家督を譲りました、といった内容が記載されておりました。
なので隠居後の戸籍を請求!ってことになります。(褜吉さんとまた違うパターン)
厚別区役所でのんびり待ちました。
(戸籍課の人にブラックリスト入りされてそうで怖い)
まぁ戸籍発見してもらって発行してもらったんですけどまぁなんと…
鷲田弥左エ門さんは息子で長男…白石村長を務めた彌太郎さん戸主の戸籍に入っておりました!
ので、弥太郎さんのお子さんやお孫さんがわかるわかる……ってことで祖母の甥っ子と言っていた小彌太先生の名前も見つけました。こりゃすげぇや。
あ、ちゃんと死亡年月日もわかりましたよ。

そして山口利左エ門さんなのですが…
窓口の人が言うには「最初、長男の方に入られてたんですけど次男の方に移ってました」とのこと。

祖母・利子が言ってたんですよね…「山口さんは長男が家督相続してなくて次男とかあたりが本家のはずなんだよね」……何があったんでしょう。
私も、祖母すら知らない謎…ここで一致しましたね…。
でもちゃんと、利左エ門さんの死亡年月日をかくにんできましたのでOKでした。

いんやまぁ…まだ中身ちゃんと見てるわけじゃないので新たなことが発見できると思うとワクワクしますね。

とりあえず、近況報告として本日の動きでした〜!

ご先祖さまを知るきっかけその5

無事に『白石村誌』を手にしたのは昨年・2018年12月。そして私は…
直ぐには読めなかったんです。笑
何より文法といいますか、もう…私にはきつい!読めない!(白目)という状態に。
実は今でも読んでいないのです。
手に入れた満足感でだいぶ満たされてしまったのもあって(遠い目)
文教堂書店の店主さんには申し訳ない…泣


さて、ここから年が明けます。
今年・2019年。戸籍を実際に取り寄せての本格的なご先祖さま辿りが始まります。
信濃神社百年』を改めて見返したところ、奉納者の欄にめちゃくちゃ『山口』『鷲田』の苗字が盛りだくさん!
ど、どんだけいるの〜!!汗
とりあえずメモをして祖母に見せて「この人知ってる?知ってる?」の聞き取り調査。
ばあちゃん、孫がこんなにうるさくてごめんね…
ここでかなりの人数の親戚がいることが判明。もうわけわからん()
祖母からの聞き取りで兄妹や従妹の名前を書きだして生まれた順番も聞いたけど祖母も混乱していてはっきりとはわからなかった…
が、鷲田小弥太先生について祖母に聞くと…
祖母「小弥太かい?甥っ子だよ」

甥っ子でした\(^o^)/
祖母の従弟ではなく甥っ子…

※詳しくはこちらの記事で↓
rinne-kururi.hateblo.jp

ちなみに祖母の記憶だと「トシちゃん」と呼ばれていたそうです。カワイイ


大事ですね、こういう話を聞くのって…
本などでは語られない家の話…こういうのが私好きで←

さて、私はここで考えました。
おうちのことって昔ばなしからしか聞けないの?
親戚集まる時だけ?
…『戸籍』だ!

ここで思い立った私は春休みの終盤を迎える3月の12日に恵庭市役所に行って住民票以外での戸籍を初めて見ることになるのです。


…以上が私のご先祖さまを知るきっかけでございました。
長かった!笑
きっかけが何であれ、ご先祖様を知ろうとする姿勢って大事だと思います。
私に至っては殆ど北海道にしかいないので『道民』という意識が根付いており、元のルーツはどこか、というのを直視しておりませんでした。
あ・父の場合、父から長崎→北海道だったので「中島家」は長崎である。というだけで終わってしまっていたんですね。
母方も母も恵庭、祖父も恵庭だったので…(曾祖父は伊達市~…とぐらいなので)ここでもう
「母方は北海道、父方は長崎。そっか、なるほど。」で終わり。
さてさて。やっと次の記事から実際の戸籍を取り寄せて(記事に住所はぼかしてスキャンしたものを載せますよ。)書いていきます。
まぁ戸籍だけではなく家の話も少しずつ載せていきます!

きっかけその5の前に

いつになったらきっかけを書き終わるのでしょうか!!笑
簡潔に説明できない道のりでしたのでながながとなってしまいます。申し訳ない…。
閑話として中島(なかしま)家のお話を致しましたのでここまでの人物を書き出していきます。
それと、私からしてどの親戚に当たるかを書いてなかったので書いていきます。
あと、出身地ですが考えたら私、札幌市豊平区の病院で生まれてるので生まれは豊平区…ですね。
訂正しておきます笑



*北海道恵庭市・中島(なかしま)家*
家紋:中陰地紙に桔梗

私(1996~)⇒長女(1人っ子)・北海道札幌市豊平区出身・恵庭市在住

父(1966~)⇒長男(2人兄妹)・長崎県大村市出身

母(1967~)⇒(旧姓・森家)、次女(2人姉妹)・北海道恵庭町(恵庭市)出身



長崎県大村市・中島(なかしま)家(父の実家)*
家紋:中陰地紙に桔梗

祖父・義浩(1941〜)⇒長男(2人兄妹)・朝鮮出身

祖父の妹(?〜?)⇒長女(2人兄妹)・アメリカにいる曽祖父の従兄弟?の元へ養子に

曽祖父・庄蔵(?〜?)⇒?・戦前、澤山商会で勤務していたが1945年の1月に戦争へ行った…?

高祖父・庄吉(?〜?)⇒?・庄屋をやっていた?


*北海道恵庭市・森家(母の旧姓)*

祖父・勝人(1936~2007)⇒三男(6人兄妹)・北海道千歳郡恵庭村(恵庭市)出身・恵庭市理容院

祖母・利子(1937~)⇒(旧姓・大浦家)、七女(9人兄妹)・北海道札幌郡白石村(札幌市厚別区)出身・恵庭市理容院



*北海道札幌市・大浦家(母方の祖母の旧姓)*

曽祖父・又市(?~?)⇒(旧姓・山口家)、?、北海道札幌郡白石村(札幌市厚別区)出身・農業協同組合役員

曾祖母・ツゲヲ(?~?)⇒(旧姓・鷲田家)、?、北海道札幌郡白石村(札幌市厚別区)出身



*北海道・鷲田家(ツゲヲさんの旧姓)*

曾祖母の兄弟・弥太郎(1893~?)⇒長男、北海道出身・札幌郡白石村16代村長

高祖父・弥左エ門(?〜?)⇒?、福井県出身?



ざっとこんな感じでしょうか!
なかなか不明な点も多いですがきっかけさえ書き終われば各家の戸籍請求とともに判明する人も沢山出てきますのでそうなったら改めて図にも書き起こそうと思っております!

中島(なかしま)家の話。

閑話と致しまして唐突に中島家のお話をしようかなと思います。きっかけばかりじゃ何だこのブログ…って思われかねないので笑

さて、実は私・輪廻は中島家の家紋を見たことがありません。
口伝でしか教えられていないのです。
なぜなら私の父の実家が長崎県大村市
私は生まれてから殆ど北海道恵庭市に住んでいて、お墓が大村市にあるからなのですね。
1.2年ほど熊本に住んでいたことがありましたが年少さんの話なのでまぁなんと……記憶にない笑

と言っても、父もあまり中島家に興味無いのか知らないことが沢山ありすぎる!!笑
色々訳ありらしく、お話はできませんが…。

父方の祖父もまだまだ元気でして。
すぐ近くにお墓があってこの間電話した時に「お墓?この間、みんな(多分ご近所の方)と掃除しに行ったけんね〜」と言ってたのでちゃんとお墓を見てるんだなぁ、と思いましたが。

ちなみに家紋は『中陰地紙に桔梗』という家紋だそうで。
口伝では「ちゅういんぢしにききょう」と聞いてたんですけど「ちゅういんぢがみにききょう」らしいですね。「地紙」の読み方の違い…笑
ちなみにこのような家紋です。

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最後に長崎のお墓参りに行ったのは…かれこれ13年前ぐらいですかね。
わたしが10歳ぐらいの時の話で父方の祖母の母(私からしたら曾祖母)が危篤状態となり慌てて長崎に行ったんですね〜。唯一の曾祖母で熊本にいた頃はよく親に連れられて遊びに行ったもんです。
…玄関に置いてある増加が怖くてギャン泣きしながら遊びに行ったのはいい思い出…(遠い目)

話がそれました笑
で、最後にお墓参りしたときに…家紋の印象がとてもなかったんですよね…(遠い目)
何せ、家紋に興味持ち始めたのは戦国武将にハマった中学二年生!!ですね。
この戦国武将はこの家紋だー!!とよく覚えたものです。(その年からの墓参り目的は母の旧姓・森家、母方の祖母の旧姓・大浦家の家紋物色ついでによそ様のおうちの家紋をチラチラ見てました←)
母方の方ばかりに密接だったので最近まで中島家の宗派も知りませんでしたからね←重症

そこで、「うち(中島家)の家紋ってなんぞ…?」と疑問に思ったわけですね。
祖父に写真を送ってもらえばいいのですが祖父はあいにく、ネット環境がなくケータイも持ってないので…しかも黒電話。
残念ながら私が直接見に行くしかないのです…が。
約3年間、大村市に単身赴任している父が来週、実家に行くとのことで「家紋撮ってきて!!あと過去帳!!」としつこくお願いしているところであります。
(使えるものは使っておくという暴挙)

さて、ここで箇条書きで中島家の口伝を書き起こそうと思います。

祖父・中島義浩のお話だと…
・じいちゃんには妹がいるけど、アメリカの養子に出された。
・家の裏の山は実はうちの土地
・昔はもっと家がでかかった。けど、小さくした。
・でかかったころはよく、菩提寺の和尚人が来てた。
・祖父・庄吉さんが庄屋やってた(私からすると高祖父)
・庄吉さんは防護巡洋艦 吉野に乗っていた。(戦死した訳では無い)
・父・庄蔵さんは澤山商会で船作る関係に携わっていた(私からすると曽祖父)
佐世保から仕事で朝鮮行くころに母・カズ子さんと出会って結婚、そこから朝鮮へ行った。
・そこで俺(義浩さん)が産まれた←これは衝撃だった
・でも実はカズ子さんは初婚じゃなかったとか。
・(義浩さんの)従兄弟がたくさんいる。カズ子さんが兄妹多かったとか。
・朝鮮から帰ってきて間もなくして庄蔵さんが陸軍で戦争に行った
・山の方に昔、墓があったがそれを今の菩提寺に移した。(骨出てきたって言ってた)
・うちの家はもうずっとこの土地に住んでいる

父のお話だと…
・庄蔵さんは手先が器用だった。
・家に実は防空壕があって昔、入ったら怒られた。(今はもうほとんど埋まっているとのこと)
・庄蔵さんは陸軍という話を(庄蔵さん本人から)聞いていない
・墓が昔上にあったことを知っているが見たことない。
・じいちゃんの妹が養子に出されたが、養子縁組に出された先が庄蔵さんのいとこだった気がする

…とまぁ色々出てくる…。
戸籍には載ってない話がたくさんありますね〜。いつか冊子にしたい。

書けばまだまだ出てくるはずなんですが今回はとりあえずここまで〜。

ご先祖さまを知るきっかけその4

そして2万円の古書…白石村誌を入手したというお話。

 

そこで新たな繋がりが出来ました。

古書を買ったお店が南郷7丁目駅からすぐの所にある文教堂書店さんなんですが

私「『白石村誌』がここにあると知って買いに来たんです」

とお話をしてこの著者である『鷲田彌太郎』さんの遠い親戚に当たることを話したら

店主「え、じゃあアンタ小彌太先生の親戚なんだね」

といわれました。

 

…小彌太先生?え、誰ですか…(困惑)

私「小彌太先生って…?」

店主「その彌太郎さんの息子さんだよ」

ということで3人目の息子さんの存在が発覚。

そしてご存命であるということも。

…ということはばあちゃんの従兄弟だということ。知らなかった。

(※後に小彌太先生は従兄弟ではなく、甥っ子と判明しますが当時の状況をそのまま書いています。)


店主「小彌太先生はね、大学の教授もやってたんだけど退職して、今は長沼でのんびりしてるはずだよ。たまにお店に来たりするし、先生の書斎も査定して欲しいってお願いされててまだ行けていないんだ。」

と店主と小彌太先生が繋がりあることも発覚。

 

まさか…

まさかこんな風に縁があるとは…。

店主「先生の住所教えてあげるから、手紙書いて会いに行くといいよ。

先生も喜ぶだろうし、アンタの為にもなると思う」

と店主が小彌太先生の住所も教えてくれて色んなお話をしてくださいました。

 

店主「この本(白石村誌)は俺が北広島でも古書店やったりしてて35年もの間、2冊しか手元に来たことがない。

ましてや年代的にも貴重な本なんだ。正直、売りたくないし俺もまだ中身読んだことないからね… 。

しかも最後の1冊だ。でも、アンタが御先祖様を知ろうとしてこの本に出会った。

俺はアンタに売ることに後悔はないよ。大切にして欲しい。」

とおっしゃって下さいました。


すごく、すごくすごく嬉しかったです。

学芸員と図書司書も目指していることも話したら

店主「なら尚更、この本の価値が分かるだろうし大事にしてくれるだろう。勉強頑張るんだよ。」

と背中を押してくださいました。


『白石村誌』↓

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その中に載っている鷲田彌太郎さんの写真↓

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初めて会う方なのにすごく暖かくて、優しさが心にしみました。
世の中って狭いなぁ、と感じました。

こうやってまさか、縁が繋がると思いもしなかったです…。

 

ちなみに鷲田小彌太先生は札大の名誉教授で哲学者らしいです。

 

つづく。

ご先祖さまを知るきっかけその3

はい、ということで厚別区図書館にやってきたわけです。
2018.12.12のフェイスブックを見返しつつ続きを書きます。

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初めて来ました。
新札幌駅から徒歩何分かで着きます。
アクセス性がいいですね〜。

さて、お目当ての本である『信濃神社百年』。
何故信濃神社に目を付けたかというと私が通学している大学の先生が厚別区出身で「もしかしたら信濃神社の寄贈者とか関係の名前あるんじゃないかなぁ。一番は信濃神社に直接行って、FWすることが良いとは思うけどね」とのことで。
ご先祖さまが載ってたらいいな!ぐらいの気持ちで借りたいと思っておりました。
私自身、図書館司書を目指しておりまして本の探し方には大分慣れており初めての図書館でも苦ではないだろうな〜と思っておりました。

図書館内にあるOPACを使い、館内のどこにあるか調べると……書庫だそうで、普段、私たちがみている開架式の書棚にないという…ことで!
厚別区図書館の司書さんにお願いして出してもらうことに!

しかしなかなか出てこないのか探しに行った司書さんが戻ってこない。
地元の人も借りない希少本なんだろうか?
と思っていたところ…
「おまたせしました!ありましたー!」と持ってきてくださいました!
よかった!!ありがとうございます!!

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早速借りてきて家で見ることに。

…見事に信濃神社の概要…。
しかも今の信濃神社社殿は2代目らしい。
ほーん…と読んでたら

『鷲田彌太郎』との項目が。

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写真載ってるや!すっげぇ!!と興奮したのもつかの間。
よくよく読んでいると…
福井県から父、母、長女と来道し、来道した年に産まれたとのこと。
福井県ルーツだったんか…!!
そして父・彌左衛門は初代信濃神社の副棟梁……
ご先祖さま、すごくないですか?えっ??

まだ下にはこんな記述が。

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『白石村誌』…?そんなものがあるのか。
しかもご先祖さまが書いた本なら欲しいし、『この村誌は現代において当時を知る貴重な資料となっている。』(原文ママ)とのこと!
でも古いけどあるんだろうか…?
ということでよく覗いている日本の古本屋というサイト!
白石村誌で検索!!すると…
でてきました!!えっ、1件だけ…?!

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いや、でもあった!!!
けど値段がやっぱりいいよね!!
ということで次の目標はこの『白石村誌』を求めて南郷7丁目駅すぐにある「文教堂書店」さんに突撃することを目標に!!

つづく。(長い←)